小石川後楽園の軌跡

東門を入ってすぐの内庭と唐門

▲東門を入ってすぐの内庭と唐門

現在東京ドームがあるあたりには、今から400年ほど前、水戸徳川家が江戸に保有した中屋敷(のちに上屋敷)がありました。この屋敷に造られた庭こそ「小石川後楽園」です。築造は、初代藩主・徳川頼房にはじまり、引き継いだ2代藩主・光圀の代で完成。光圀は儒教思想に影響を受けた人物で、中国の名所や景勝地の雰囲気も取り入れている点がこの庭園の面白いポイントです。


明治になると、水戸徳川家の上屋敷は陸軍省の軍事工場地となりました。庭園部分も工場の敷地として使われる予定でしたが、山縣有朋らの働きかけにより構想は中止され保存の道へ。昭和13(1938)年に東京市の公園として公開がはじまり、昭和27(1952)年には国の特別史跡と特別名勝にW指定されました。


都心に奇跡的に残った、大名庭園のお手本のような名勝。約400年という歴史の重みを感じながら風景や植物を鑑賞するのもまた一興ですが、小石川後楽園の楽しみ方は「外」にもあるのです!

元々は江戸城の石垣だった!

西門を出て小石川後楽園西側の塀に江戸城の石垣が再利用されている

▲西門を出て小石川後楽園西側の塀に江戸城の石垣が再利用されている

こちらは小石川後楽園の外壁。よく見ると、石垣にマークが彫られています。さては、お主…ただの石垣ではないな。実はこの石材、元・江戸城の石垣なのです!


東京駅の八重洲口を出てすぐ目の前を通る都道405号。「外堀通り」の名の通り、かつては江戸城の外堀でした。当時、鍛治橋御門があった鍛治橋交差点から北側方面の発掘調査で、外堀の石垣が出土。調査報告によると、寛永13(1636)年の江戸城外堀普請の時のものであると、時期まで判明しています。


数百年ぶりに姿を現した石垣は、小石川後楽園外周部の景観維持のため外壁として生まれ変わり、再び日の目を見ることとなったのです!

このマークの意味は?

4種類以上の刻印を確認することができる

▲4種類以上の刻印を確認することができる

ところで、石垣をよく観察するとマークが彫られています。一体、どんな意味があるのでしょうか?


江戸城は、徳川将軍家が諸大名に命じて土木工事を行なわせた「天下普請(公儀普請)」によって築かれました。戦で一時中断していた時期もありましたが、約30年間という期間、日本各地の大名たちが江戸で城造りに励んでいたのです。


石垣に刻まれたマークは「刻印(こくいん)」と言います。石垣を築く際は、藩ごとに丁場範囲を決めて作業していたため、石材が混ざって喧嘩にならないようマークを刻んで可視化していたのです。


ちなみに、「◯に山」は現在の岡山県…備中成羽藩・山崎家の刻印。初心者マークが横になったような刻印は「矢筈(やはず)」と言って、現在の大分県…豊後佐伯藩・毛利家。メガネのようなマークの「串団子」は現在の大分県…豊後岡藩・中川家の刻印。最後の「◻︎(平角)」は現在の岡山県…備前岡山藩・池田家の刻印と考えられています。刻印鑑賞は、歴史散策のツウな楽しみ方。マニアックだけれども、歴史の深いところも知ることができるのです!


江戸時代の景観が園内でも園外でも楽しめる、マニア垂涎のスポット「小石川後楽園」、オススメです。

小石川後楽園
  • 所在地

    文京区後楽1-6-6

  • 最寄駅

    飯田橋

  • 電話番号

    03-3811-3015

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